旅行・地域

2008年11月20日 (木)

碓氷峠のめがね橋に行きました

今日はもともと行きたかったという思いがあった碓氷峠の「めがね橋」に行きました。詳細はみなさん検索してください!なんて無責任な言い方ですけれども、碓氷峠で重要な物の1つと思われる文化財ですから、これは見なくては!なんて思い、やっとのことで見ました。

小さいころ、特急に乗って長野に行く時にはそれほど感動というものはなかったです。でも、この年齢になってというか、そうゆうのに見たくなったのです。もともと好きでしたけれども、それがこのごろ顕著になって「見たい!」というのがでてきたのです。

そんな前振りは置いといて・・・で、いつも碓氷峠を利用しますけれども、そんな物は見たことがないのに・・・と思いきや、バイパスではなく旧道にあるのです。

さすがに、旧道ですからちょっと抵抗はありました。道が狭いし、くねくね曲がっているから・・・インターネットで検索したら駐車場もないに等しいところでしたから、どうしようか・・・ トロッコ列車の終点に温泉施設があるからそこに車を止めて歩いて行こうかな?なんて思いましたが、まったく先が読めないことでしたから、行ってみるか?ということで、直接行きました。

そうしたら、予想通り。歩いたら結構、遠く車で直接言って良かったですが、がけっぷちに車を止めて行きました。

今、置くのほうで工事をしていましたが、行くことはできました。めがね橋まで階段を登って、やっとめがね橋に。めがね橋の上を歩くことができましたし、かな~りボロボロの状態でした。ですが、眺めは結構よかった!もう少し、紅葉が進んでいたら、眺めは絶好でしたでしょう!

これから行くみなさんにちょっと・・・

看板に

「熊、注意!」と・・・

ん?そうなんだ・・・つい最近、目撃情報があったんだって。でも、工事をしているから大丈夫だと思いますけれども・・・

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2008年9月21日 (日)

長野に行ったら必ず食べる物

今日はちょっと疲れました。1日中、肉体労働をしていましたから・・・ でも出勤が遅いためになんどもシフトを見直しました。だって、1度も経験をしたことがない時間帯でしたから・・・

というわけで昨日も眠かったけれども、今日も眠いですから、あまり考える気力がないので、まだこのネタで・・・

実は旅行で松本から上田に行きました。なぜこのルートなのか?

それは・・・

「碓氷峠で峠の釜飯を食べるためです」

本当の話。長野に行く時(というのはおおげさですが・・・)は必ずおぎの屋によって峠の釜飯を食べるのです(そばではなくって・・・)。行きと帰りの両方の時もあります。これだけは本当にやめられないのです。

去年あたりに改装工事をされてきれいになりましたけれども、ここで食べるのですけれども、おぎの屋に来てたまにカレーを食べているのを見ると「おまえ、何しにここに来たんだ?」とケンカを売ってしまう時もあります(もちろん内心での話し。あくまでもツッコミで)。だって、そうでしょう?おぎの屋に来て名物の釜飯を食べないで何しに来たの?といつも見ると思います。

だいたいパターンとして釜飯を買って、となりにある店でなめこ汁を買っていつもいっしょに食べているのですが、今年は異変が・・・

実は・・・

「なめこ汁が200円になりました!」

っていうか、値上げか!でも、昔は100円だったような気がしたけれども、気のせいと言ったらおしまいですけれども・・・ 

これを食べると長野に行ったんだ~という気分になります。みなさん、あるでしょう?ここに行ったらこれを食べないと行った気がしないというのは!

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2008年9月20日 (土)

ETCを導入した旅行でした

今回の旅行は予算的なことが相当ありましたというわけではないですけれども、このごろのお金の使い方がどうもただでは使わない。なんて言う言い方も変ですけれども、使ったら何かもらえるか?ということを前提での使い方になっています。そんなわけですから、遠出をすることが前提ですから、ETCを導入をしたのです。

でも、もともとは否定的な立場でした。ETCはカード払いということが前提なので、どうもそれに抵抗があったのですけれども、このごろはそれに抵抗が薄れてきました。それに首都高では一律から距離制になるとかならないとかもあるし、いろいろと考え直してというか、1度お金があまりないときに出かけた時に、帰りの高速代がなく、なおかつコンビニでも下ろすことができなかったという大失敗があったので、その痛い経験もということで、決断したわけです。

で、感想はというと・・・

「なんだかめんどくさいな~」というのが感想。時速20k以下でしたっけ?感覚的には停まるような感覚なんです。イメージ的にはノンストップですけれども、なんだか・・・まだ慣れていないためか?

行きは圏央道から中央、長野自動車道で帰りは関越でしたけれども、上信越でETCレーンが使えないということで、藤岡ICから乗りましたけれども、100k以内ということの時間割り引きで安かったです。でも、調べたら100k圏内ということでした。で、うちからだったら100k圏内というのは結構せまく、簡単に言えば軽井沢になんて割引でいけないので。あまり使いづらい割引だな~という印象ですけれども、ETCならではという感じでした。

これで現金ではなくなることですけれども、レシートというのがなくなるな・・・ 使ったという証明が無くなるような気がして・・・

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2008年9月19日 (金)

今回の旅行が決定するまで

昨日まで旅行に行っていましたけれども、そこまでが紆余曲折と言う言葉がぴったりなんです・・・

実は、本当は先月の8月に行くつもりだったんです。それも出雲大社に。たしか何かやっていたんです。けれども、金額的な予算がどうも折り合いがつかないし、日程もどうも・・・ということで断念。でも来月にしよう!ということで、半分、無理矢理というかこの日にしました。いろいろと仕事的にもいそがしい最中でなおかついろんな人に聞きまくって、この時期ならだいじょうぶでしょう・・・ということで。

でも、日程は決まったけれども、場所が松本・上田になるまでが結構、ぎりぎりまで決まったんです。

まず最初は琵琶湖周辺の長浜に行こうと思いました。鉄道関係の展示を見たい!と彦根城に行った時に思いましたが、金額的なことと日程的にもさすがに2泊3日じゃないとつらいかな・・・ということでしたけれども、宿泊地を滋賀県内ではなく福井にしたり岐阜にしてもだめということで断念。

次に東海道沿いの城と思いましたけれども、じゃあ、どの城を見るか?ということで取捨選択できなくってそこで断念。

たまたま見たTVで水戸のことをやって、水戸に行こう!と思ったでけれども、それ以外はなにある?宇都宮にもと思ったけれども、結局はまた断念。

かなりギリギリの状態でもあり、一時は行くのは断念寸前でしたけれども、たまた立ち読みした雑誌から「上田に行こう。そして松本城にも行こう!」という急転直下で決定しました。まあ、今回は相当、予算的に厳しいわけでしたから、宿泊も5000円前後という予算で決めました。

さすがに今回は本当に苦しかったです。2泊3日ではなく、1泊2日に短縮してという状況になったというわけです。

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2008年9月18日 (木)

次は上田に!

昨日は松本なんでしたが、今日は上田に行きました。朝は雨がすごかったけれども、そのうちやんできました。今日も時系列的・・・

①真田宝物館

 上田に行くなんていいながら・・・となんですけれども、実はこの建物は松代なんですよ!というより、松代が町ということがビックリですが・・・ 気を取り直してですが、こちらの宝物間というのは基本的には真田家がだいぶ落ち着いてからのコレクション。それも文書から生活道具がメイン。各当主の紹介もあったけれども、以外と真田家は上田から松代に移ってから歴史的には(後世から見ての話ですが・・・)地味な存在でしたが、でも真田家は一時期、特に秀忠にとっては目の仇に近いものでしたが、それを過ぎてくると外様ではなく譜代扱いの待遇になってくるということがわかった。井伊家や、高松徳川家(水戸家の分家)や松平定信の次男から養子を貰ったり、または島津家と婚姻をむすんだり、実質的には譜代扱いで老中にもなったりと、幕末には結構、それなりのポジションだった。そういえば、佐久間象山って松代藩だったっけ?今ごろ気がつきました。でしから、道具も豪華豪華。それに当主もそれなりに文化人だったからいろんな茶道具もありました。そうですよね?彦根藩の井伊家から養子を貰っているからその血筋であるならば・・・ 意外とクローズアップされていないその後の当主を知ることができましたから・・・ それに真田の先祖も出てきましたが、清和天皇の流れですが・・・ さすがにですが?

②海津城跡(松代城跡)

 武田信玄がらみの話を見ると否応なく出てくる言葉がこの海津城であります。川中島の戦いでは武田側の最前線基地でありますから、ある意味、切っても切れない城です。それがこの前の風林火山で山本勘助が作った城としてますます有名になった?城ですけれども、実際は何もないです。後ですから・・・ 復元された不浄門と正門?の太鼓門と前橋があっただけでした。回りはまったくないですから・・・ でも、そこから眺める千曲川も(と言っても見えないですが・・・)どんな気分でしょう。回りの山々を見たのもどんな気分でしょう・・・ 昔で同じ場所で勘助や幸隆と同じ気分になれるかも?

③上田城跡

 跡というように、これも天守閣がない城です。本当に!あると思って実は相当期待はしていましたが・・・ さて、ここでは櫓の公開(西櫓は内部公開はしていませんでした)と敷地内の真田神社でした。城跡はそれほど大きくないです。一周はしましたけれども、それほどは大きくはない城です。でも、それで2度も徳川の大軍を撃退させたなんてね・・・と思うと、復元させてもいいような・・・ でも、ここはメインは博物館かな?

④上田市立博物館

 ある意味、メインかも?という言い方も変ですけれども、博物館は上田城の主が3代によって代わったことの説明。真田氏が松代に移って、仙石氏、その次が徳川の分流(ていう言い方も難しいから、三河時代の遠い親戚)の松平氏(本当の親戚?と区別するため藤井松平氏)の説明でした。それに上田の歴史もされていました。でも、上田周辺も結構、歴史的な物が多いな~というのが感想。それは置いといて、同じ真田の説明もありますが、それはそれで出だしはしょうがない。ある意味、この地域は無くてはいけないものですから・・・ それを超えれば、知らないことだらけの大発見になります。

⑤池波正太郎 真田太平記館

 実はそれほど行こうとは思わなかった。でも、流れですかね?昔、NHKでは2つの時代劇がやっていました。今も続いている日曜日の大河ドラマと今は土曜日に移ってしまった時代劇と。今は土曜日ですけれども、昔は水曜日にやっていたもので、それは結構、質の高いものだった。昔は「宮本武蔵」(役所広司主演 個人的にですが、どの宮本武蔵が好きか?と聞かれれば、これを真っ先にあげます!)とか大河ドラマに負けず劣らない上上質の時代劇を作っていました。その1つに「真田太平記」がやっていましたが、その原作を書いたのが池波正太郎のことや、真田太平記をもとに真田家のことを展示していました。その原作本の挿絵を基に名場面集を展示したり、とまるでどこかのデパートでの展示会みたいな作りですけれども、実際は「マジで小説でも買おうか?」なんていう購買意欲を掻き立てる作りでもある。池波作品を好きな人ならこうゆう展示物で今までもっていないものを購入する気になる建物でもある。特別展では大阪の陣をクローズアップしていたけれども、これは真田側というか豊臣側でも武闘派の面から見た展示ですから、好きな人には相当いいのかも?

という感じで今回の旅行は終わりました。予想外のことは多々ありましたけれども、こうゆうことならいつでもできるような感じはします。でも、長野県内に限っての話ですが、まだまだ見足りないことがあります。それは次回!と思いながら、帰って来ました(本当に次回があるかは突っ込まないようにして・・・)

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2008年9月17日 (水)

今日は松本に行きました

今日はお出かけしました。だっていろいろと鬱屈していたことが多いですから・・・で、時系列的に・・・

①松本城
 実は現存している数少ない城の1つ。でも、城主的にはいろいろと入れ替わったけれども、基本的にはパッとしない人が来ましたが、ですが譜代クラスの城主ですから幕府内ではかな~り重要な場所だったのでしょう?徳川の親戚関係ですから・・・ 城的には、まあ、こんなもんかな?とも思いますし、城内はそれほど大きくはなかったです。ですから、内部的には感動さはありませんでしたが、でも外から見れば、城というのはやっぱり堀がないと絵になりませんね~ それとどこの場所から見るのがいいのか?って思ったらどこから見ても絵になるというのが正直な感想でした。

②松本市立博物館
 城のすぐ側ですからという期待をしていましたけれども、それほど・・・でしたが、敢えて言うなら、鉄砲。それも火縄銃コレクション。これがいろんな意味での驚きというのか?城内でも展示していたけれども、個人のコレクションの寄贈品です。でも、それはそれでのおもしろさがありました。ここまでの収集を個人でやっていたのですから、さすがに脱帽・・・ 基本的には市立博物館ですから、松本市の歴史を展示公開ですけれども、伝統工芸というか、お祭りまでの展示と幅広いことです。昔の古代からですからの展示。それはそれで・・・ おまけにあまり知られていない押し雛の展示とかも意外とこうゆうところに行かないとわからないものもあるのだな~という感想です。

③旧開智学校
 ある意味、長野県の頭のよさ?というのがわかる象徴の建物。日本で最古の小学校の建物。細かいことはみなさんでお調べになったほうがいいと思いますので・・・ でも、実はとなりに本物の?というのも変ですが、いまだにあるのです。開智小学校というのが・・・ 本当に。というか、相当の歴史の古さがあります。建物はともかく、この学校の歴史を見ると、この松本市内の小学校や近くの幼稚園、また信州大学や松本市立博物館など全ての歴史を遡るとじつは開智学校に通じるというわけ。はっきりいって「え~」と思うが本当です。近くの市立の小学校は人が多くなったための分校だったのがルーツ。それに関係するいろいろな付属の機関から独立して高校とかできたということが、建物よりそっちのほうが驚きがありました。おっと、完全に建物はそっちぬけでの話です。まあ、変な意味で写真とまったく同じで白がメインのわりにはまったくの汚れがないことにちょっと驚きました。それに教育関係の展示物というのは戦時中のはあってもその前後というのは意外とないものです。でも、ここは全てありました。いろんな意味で一括で見れるとは意外と不思議感はあります。

最後のおまけで・・・
④松本城二の丸御殿跡
 跡は跡ですけれども、あくまでも平面ですが、そこに石で何があったかわかる感じでしたが、高さはないところではまったくの見ずらいです。ほとんど奥になんの跡かがよくわかりませんでした。

とこんな感じで1日が終わりました。明日も明日で出かけます。でも天気が・・・

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